懐かしいものを発見してしまいました。
【エンゲルスは「生産諸力」を人間と人間の関係の有り様を除いて「生産手段の所有」の問題に一面化して理解することによって、生産力の発展の過程をそのまま「人間の発展の歴史」として肯定し、生産力主義に根拠を与えた】
…やっぱりエンゲルスの影響なんですね。
oc.todon.fr/web/statuses/25436

こちらのアイコンは反転画像にしました。

「給料の平等」って時点ですでにギャグですね。…まあ、「給料を受け取る側」内部での平等だったら概念的に不可能とまでは言いませんが。その場合「給料払う側」の存在って、自然や神のようなものなのでしょうか。佐野・鍋山的「天皇のもとの平等」みたいな。
そもそも「共産主義国家」って、 これほど自家撞着した言葉って他にないでしょう。
…ともかく、ブルジョア的所有関係と、それが生み出す価値意識を自明化した上での論議は不毛ですね。右翼が共産主義を攻撃する時の決めゼリフ=「共産主義は財産の共有を主張する、たとえばパンツまで共有しようというのだ」みたいなケチツケに反論など不要です。
マルクスのいう「財産」が生産手段を指しているのはその通りなのですが、だからといって「それ以外の財産まで取り上げることはない」などと強調して何になるのか。問題はその「取り上げる側」の存在です。分業そものの止揚をもって所有関係そのものが変われば「財産」や「所有」をめぐる観念も格段に変わるでしょう。
支配も差別もない未来、われわれと価値観も全く違う世界。とても想像がつきませんが、「パンツの共有」がフツーにあったっていいと思うのです。

この人(広夢)自身が共産主義を思いっきり誤解してますね。読んでて笑ってしまった。
togetter.com/li/356878

housetargaryenの方はログインしてもエラーが出て全く機能しなくなったのですが、Octodonの方は無事のようでした。

social.targaryen.house、ついに終わったんでしょうか?

こちらはフォローされているのにフォロー返しできない…

 こうした生産力主義の立場では、人間相互の社会的関係=労働組織の問題については、旧いものを無批判に前提とするか、あるいは、暗黙のうちに機械化・自動化の進展によって自動的に人間相互の社会的関係の改編が伴うものとして了解される。 したがって、労働組織~またそれを基底とした人間の相互関係全体における階級(社会)的な支配・隷属関係はもちろん、いかなる抑圧・被抑圧=収奪・被収奪関係をも変革・突破することの根本的意味について対象化できない。

 (広義の「国家」とは区別された)近代国家は、「共同体の最終的崩壊の上に成立する」市民社会の分業を維持するものであるとともに、支配階級の共通利害を保障するためにある。 すなわち「市民社会と並んでかつ外部にある」(マルクス)存在として、資本主義的生産諸関係の再生産を保障し、政治的には階級支配の装置として機能している。 国家は、支配階級の利害をあたかも「国民の利害」であるかのごとく隠蔽する「幻想的共同体」にすぎない。 したがって、プロレタリアはこれを自らのために利用することはできないのである。

 「生産力主義」とは、生産様式との関係を把まないまま、生産手段=機械体系それ自体を客観主義的に自存化-物神化してしまい、その発達を自己目的化することに社会(革命)の発展を見る主張・思想である。
 当然にも、この「生産力主義」はスターリン主義が新たに「発明」したものではない。利潤追求を目的とし人をモノとしてしか見ることのない資本家にとってはむしろ常識的な感覚であった。「生産力主義」に「生産力主義」を対置することでは、この「常識」を超えていくことも、ましてこの「常識」に拘束された人々の「心」を変えていくことも到底できないし、敗北は必然だったのである。その生産力主義的限界を前提として、はじめてスターリン主義による「生産力競争」の問題が存在するのである。

 〈生産(諸)力〉とは生産手段と労働(特定の社会形態を帯びた「人間」)の結合力であり、したがって〈生産力の発展〉とは、労働生産物=道具(土地)と生産組織の結合力総体の発展にほかならない。
 マルクスは、対自然関係を「労働過程」と呼び、そのその三要素が「労働対象」「労働手段」「労働者」であるとする。 この対象-手段-労働という三要素の関係態を対自然関係の相で見るときこれを「生産(諸)力」という。 他方この三要素の関係態を所有関係の相で結合するときに「生産諸関係」という。

 〈国有化と計画経済〉を社会革命の内容として展開したエンゲルスの叙述を基礎に、レーニンはこれをロシア革命の路線とした。 エンゲルスの『反デューリング論』と『フランスにおける階級闘争・序文』は、多くの生産力主義・タダモノ論・「進歩主義」(社会進化論)諸潮流を生み出した。 ベルンシュタインなどの修正主義の教典となり、ドイツ社民党の転換―「第二インターナショナルの崩壊」の理論的基礎となり、他方でレーニンのマルクス主義理解を規定し、「公認のマルクス主義」とされたスターリン主義綱領の源流となり、二段階革命論、人民戦線戦術(はては「民主連合政府」、野党共闘)を正当化し、以降全世界的にこの影響が拡大した。さらにはスターリン主義者たちによって、「資本主義のもとでの国有化」にさえ意義を見いだすものにされていった。

(補稿) エンゲルスについて③

『反デューリング論』…「国有化と計画経済」

 「国家がほんとうに全社会の代表者として登場する最初の行為―社会の名において生産手段を掌握すること―は、同時にそれの国家としての最後の独立の行為である」(「反デューリング論」)…引用部分は、マルクス死後に後期の晩年のエンゲルスが急速に「国家=共同体」論への傾斜を深めた、問題の部分である。
 「生産手段の膨張力は、資本主義的生産方法が自分自身にはめた桎梏をうち破る……生産方法がこの桎梏から解放されることは、生産力がますます急速に発展していくための、したがって生産そのものがほんとうに無制限に拡大していくための唯一の前提条件である」(『反デューリング論』『空想から科学へ』)…人間をその「道具」としながら「生産の無制限の拡大」を理想化。エンゲルス自身も基軸的には主張しなかった「生産の社会的性格と取得の私的性格の矛盾」を後にスターリンが「資本制生産の根本的矛盾」と位置づける。

 資本制生産の過程は、同時に価値増殖過程であり、不払い労働の産物として剰余価値を資本家が取得するのであり、これが可能なのは資本家が他人の労働を指揮できるからである。
 「共産主義はだれからも社会的生産物を取得する権力を奪わない。 ただ、この取得によって他人の労働を自分に隷属させる権力を奪うだけである」(『共産党宣言』)。
 問題の核心は「他人の労働を自分に隷属させる権力」にあり、これを属性とする資本制生産にあるのであり、この止揚としての共同による自由な自己労働の実現にあるのである。

 またエンゲルスは、階級の発生を生産手段の私有から展開するマルクスの主張を歪曲し「生産の発展が不十分であったことの必然の結果……社会の総労働が、万人のようやく生存していくのに必要なもの以上に、ごくわずかの剰余しか生産しない間は、したがって社会全員の大多数が終日もしくは殆ど終日、労働に従事しなければならぬ間は、この社会は必然的に階級に分裂する」としている。 そしてエンゲルス自身がそれまでの国家把握、階級把握をここで転換している。 「直接の生産的労働から解放された一階級が形成され……社会の共同事務を行なう……ゆえに階級の区別の根底をなすものは分業の法則である」などと、「社会の共同事務」なるものを無前提に規定し、しかも支配階級を生産手段の私有者としてではなく「共同事務の遂行者」と表現するのである。

 ここには〈社会革命〉の意義はまったく出てこない。さらに、なぜ生産が個人的行為から協業による集団的行為へと変わっても、資本家は他人労働の生産物を私的に領有し続けられるのか、という問題が、これでは理解不能になる。

 ここでエンゲルスが使用する「社会的」という用語に注意する必要がある。 それは多くの場合「協業」「集団的」の意で使われ、「社会的諸関係の総体」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)ということではなく、せいぜい資本の生産過程での労働者の協業を意味するものである。 したがって、「社会的生産と資本主義的取得の矛盾」ということが直接意味するものは、「労働者の協業でできた生産物が労働者でなく、資本家が取得する矛盾」ということになり、現象をそのまま本質とするのに等しい展開になっている。
 ここから必然的に、「基本矛盾の解決」は生産諸力の社会性を認め「生産、取得、交換の様式を生産手段の社会的性格と一致させる」ことに求められる。

 こうしてエンゲルスは、プロレタリア-トが国家権力を掌握し、生産諸手段を「国家的所有に転化」し、生産を計画化していくコースもありうる、という結論に達する。 生産諸手段を国家的所有に移し、社会の名において生産諸手段を掌握すること=「国家的所有」「社会化」によってすべてが「解決」されるというに等しい。Assoziation~コミューンの重要性が決定的に欠落しているのだ。

(補稿) エンゲルスについて②

エンゲルスの主張の核心点の整理

 生産手段が個々人から集団によってしか使用することのできない社会的なものへと、生産が個人的行為から社会的行為へと、生産物も個々人の生産物から社会的生産物へと変わったにもかかわらず、商品生産の領有様式はそのままであり、資本家は他人労働の生産物をあいかわらず私的に領有し続けていることを資本制生産の基本矛盾とする。
 つまり「社会的生産と資本主義的取得(領有)の矛盾」とは、生産が社会的であるにもかからず領有(取得)が「私的」であることをさしている。 プロレタリアートとブルジョアジーの対立、・工場内組織化と社会的生産の無政府性、恐慌の三つは、この矛盾の発現形態=現象として展開される。

 早期の「世界革命」、という展望は挫折を強いられ、その後の帝国主義の展開の中で「国際主義」どころか経済ブロック化と排外主義が世界を覆うという予想外の事態に直面し、左翼勢力は試練の時を迎えていた。こうした時期、早死したマルクスに比べ長寿を全うし、ドイツ社民党の「相談役」として大きな位置を有したエンゲルスの与えた影響は想像以上に大きかっただろう。
 時代を経て、彼の思想は、スターリン主義者の党独裁による官僚支配や生産力主義にもとづく「国有化による計画経済」の利害に合致していた。 他方ではこれが「資本主義の自動崩壊」論から待機主義へと帰結し、修正主義、社会民主主義諸潮流を生み出していく。

(註)無論、現代では自然科学においてさえ「法則性」なるものを無前提におく人はいない。マルクスが「法則」をいうときにも、それはあくまで便宜的な用法に過ぎないのであって、当然にも古いタイプの二世界観にたっているわけではない。ただし、エンゲルスの場合この点で位相が異なる。とりわけ晩年については当時の社会進化論的な人類学の影響を強く受けつつ急速に客観主義的な傾向を強めていった。

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